「いらない」と同時に「是非ほしい」。まるでアイドルの歌のようだと思った。「大嫌い大好き」と似ている。「一見、相反する気持ちが実は一番近いところにある」的な言い回しは、何百万人もの人が、あたかも自分が思いついたかのように「意外だけどそれが真実。人間って不思議な生き物」というニュアンスをこめて口にする。わたしはなぜか、そういった「意外な法則」について訳知り顔で解説されやすいタイプなのだけれど、他にも、「腕時計についての認識は恋人についての認識を表す」という話をされることも多い。根拠のない話だと思う。「いつもつけているのはちょっと面倒」というと「恋人の存在がちょっとうざったいと感じていますね?」といった言い当てが行われることが多い。これは、どんな発言も色眼鏡で見れば、恋人のことについて語っているように見えてしまうという原理を利用したトリックと言える。ただ例外はある。たとえばこの、クビにされた瞬間採用されたマネージャーは、メガネをしていたが、メガネがずれていないのに、似顔絵にされるときは必ずメガネが片方ずれているように描かれそうなほど、空気の読めないタイプに見え、彼ならきっと「腕時計についてどう思う?」と聞かれたら、「金属のところに垢がたまっているところとそうでないところがある」などと答え、恋人の話を絡めて深層心理をえぐり出そうとしている人をガッカリさせることだろう。
そんなマネージャーの採用を瞬く間に決めたタレントは、マネージャーの才能に惚れて採用したというよりも、自分の決断の早さを世間に伝えたいようだった。たしかに「即決」というイメージは現代的だと思うのだけれど、かわいそうなのはその即決タレントについ先ほどまで雇われていた元マネージャー。無能な男にマネージャーの座を取って代わられたのだから。
 元マネージャーは、クビになったあと、ぼんやりと中吊り広告を眺めていた。その広告には「スローライフリバイバル」と書いてあった。スローライフが、いつの間に廃れていたのか、そしてスローライフに取って代わったのはどんな暮らしだったのか、ファーストライフなのか、それとも、スピードとはまったく関係のない、たとえば、常に生乾きの洋服を着ることを大事にする「ウェットライフ」なのか、まったく見当もつかなかったが、彼にとっては突然降って沸いた無職という状態を受け入れる口実として「スローライフ」は口当たりのよいものだったと言えるだろう。わたし彼のスローライフがうまく行くことを祈りながら、木村氏の住むという大塚で降りた。
わたしにとって、大塚で降りたのは生まれて初めての体験だった。大塚はタバコの町として有名だという話を誰か有名な作家が書いていた気がする。ただ、その作家はヘビースモーカーらしく、何でもタバコに結びつけないと気が済まないようで、有名な女性の手の指を「まるで上質のタバコのように細くて…」とたとえたり、気に入らない女性の足の指を「まるでシケモクのように短くて黒ずみ…」と書いたりしていた。彼にかかれば日本の町すべてがタバコの町なのかもしれないな、と思って改札を出ると、タバコ屋はどこにも見あたらない。木村氏の家はタバコ屋の角ということだったので「タバコ屋が多すぎたら困るな」と思っていたのだけれど、まったくないのも困りものだ。近くを歩いている、何も口にしていないのに、口許がタバコをくわえたときみたいに歪んでいる男に聞いてみた。
「そこをまっすぐ行けば、タバコ屋がありますよ。ただ、もうタバコっていう時代でもないと思いますけどね。」
と意味ありげな言葉を残して去っていった。目印になるタバコ屋の角を曲がると、十メートルほど先に、表札に「木村」とある家を見かけた。まさにこれが木村氏の家。しかし、タバコ屋のことも気になってきた。なぜなら、近年の禁煙ブームのあおりを受けているであろうタバコ屋の「次の一手」がどんなものであるか知りたいと思ったから。
「こんにちは。タバコに全然興味がないのですが…何かもらえます?タバコに代わるような何かを。」
タバコ屋の男は答えた。
「あー最近そういう人が増えてきていてねぇ。スタイリッシュで、ちょっと体に悪くて、臭いものってことだよね…最近はくさやスティックがよく売れてるけど。」
スティックを手に取りながら、なるほどと合点した。くさやのタンパク質が腐った匂いは、タバコをはるかに超える臭さであり、歩きながら吸っていると、タバコよりも迷惑になることは確実だ。形状も、だらしなく紙に巻かれているタバコとは対照的に、念入りに干し固められ、非常にスマート。これなら、タバコの代替品としては十分、むしろタバコよりも優れている点が多いと思ったが、少し気になる点があった。
「くさやは健康食品であると言われていますよね。健康を害することが重要な魅力の一つとなっているタバコと比べると、この点では見劣りしてしまいますよね。」
とわたしが反論してみると、タバコ屋の男は、奥から一冊のパンフレットを出してきた。その縦長のパンフレットには「むしろ毒薬こそ口に苦し」と大きな字で書いてあった。
「最近、『臭いものや不味いものがむしろ健康にいい』というムードが広まっているが、おかしいと思うんだよ。『良薬は口に苦し』みたいなことを涼しい顔で言う人も多いけれど、口当たりの悪いものがすべて良薬であるとは限らない。たとえば、塩酸は飲むと口当たりが悪いじゃないか。たぶん舌も喉もビリビリすると思うんだけど。本当は、口当たりのよくないものは危険だと思うべきなんだよ。」

よく、ビデオデッキが普及したのは裏ビデオがあったせいだとか、インターネットが普及したのはエロサイトのおかげだという人がいるが、文字もまた、セクシャルなエンジンにより普及したと言えるだろう。セクシャル・エンジン…わたしは思わず即興で歌を歌いたくなってしまった。


♪セクシャル・エンジンはすべてを変える
ビデオを普及させ
インターネットも広める
文字もセクシャル・エンジンのおかげ
千馬力相当のエンジンに匹敵
ついでに子供も生まれる
生まれた子のうち、五パーセントは
「生まれてすみません」と言うけれど
成長とともに何も言わなくなり
やがて適当な相手を見つけて結婚し
おとなしく天寿を全うする♪


わたしは自分の奏でる軽快なサウンドに乗って、「人」の字を模すように大股でテンポよくステップを踏み、鶯谷の駅に向かった。勢いよく歩くうちに、ワドルは引き離されていった。地球上で周回遅れになったとき、ぼくはまたワドルに会うかもしれないなと思いながら、心の中で彼に別れを告げ、山手線に乗りこんだ。しかし乗りこんだ瞬間「わたしのような人間が乗っていいものだろうか」と思う羽目になった。というのも、わたしが乗った車両には、有名人がずらりと立ったり座ったりしていたのだった。タレントやスポーツ選手、政治家までもが乗っていた。有名人がこんなに集中していることに対して、有名人たち自身も困惑した様子だった。あちこちで頭をかきながらあいさつをしていたのだけれど、彼らの会話を盗み聞き―しかし、有名人なので、自分の会話は世界中に向けて発信されているような気持ちで話していたはず―した。
「いやぁ…おたくも庶民派であることをアピールしようと思って電車に?しかし重なるものですなぁ…」
どうやら、彼らは普段、運転手つきの車に乗っているが、「お高くとまっていては人気がなくなってしまう」と危機感を覚え、庶民派であることを示すため、たまに電車に乗っているようだった。不思議なことに、明らかに庶民派であると見なされているはずの、バラエティ番組に出ている女性タレントまでもが照れながら頭をかいている。自分が世間からどう見られているのか理解していないのではないかという疑念がわたしの中で浮かんだ。
ただ、「さすがスターは違う」と思ったのは、頭をかいたときに出てくるフケの一粒一粒をマネージャーが、割り箸の先に黒い紙を貼り付けたものをせわしなくかざし、隠していたのを見たときだ。あたかも「トイレに行かないのはもちろんのこと、フケも出しません」と言わんばかりの徹底したイメージ戦略。彼らの早業を感心して見ていたのだが、要領の悪いマネージャーが、黒い紙をかざす方向を間違え、かえって黒地に白いフケが目立ってしまうような演出をしてしまっていた。そのマネージャーは即刻クビを言い渡されていたのだが、その瞬間、他のタレントにマネージャーとして即採用されていた。その素早さたるや天下一品で、二人の声は重なり、「キミはもういらないキミが是非ほしい」と聞こえた。

彼が上着を脱ぐと、たしかに彼の脇の下にはハンドバッグがあり、たすきがけにした紐が彼の身体を締め付けていた。よく見てみると、彼の顔は少し鬱血して赤黒くなっている。わたしはだんだん腹が立ってきて、この話の通じない男に一泡吹かせてやりたいという気分になってきた。このまま木村氏の家に行き、話がまとまっても、わたしは爽快な気持ちにならないんじゃないか?という気がしてきた。このワドルが何かしらひどい目に遭うのを見ない限りは―
単純に考えて、たとえば木村氏が、「あなたの言うことは理解できるし承諾するが、このワドルという男は何だね。いちいち腹立たしいことを口にする!」などと言って責めたててもらうのが最も労力を使わない方法だと思うけれど、木村氏が彼を気に入ってしまう可能性もないわけではない。
急に、木村氏に好かれるためにはどうしたらいいかについて気になってきた。そのためにはまず木村氏がどういうものが好きであるかを考える必要がある。わたしが引用したところから考えると、「木村氏は水っぽい水ようかんが好き」ということがわかる。このことから導き出せる仮説は二つある。
一つは「木村氏は水っぽいものが好き」という説。この説が正しいなら、彼は水びたしになった肉まんや、梅雨時に放置されたスナック菓子などが好きということになる。それならば話は簡単。このまま歩いていくと、わたし自身が汗まみれになるので、汗だくのわたしの顔を見ただけで、木村氏は満面の笑みをたたえ「ようこそ」と言ってくれることだろう。
もう一つは「木村氏は、本質的な物が好き」という説。これは理解しづらいが、「水ようかんと称するからには、水っぽくないと」という理論。彼が嫌うものは「黒い白鳥」などの、名前に反する存在で、さらに象形文字である漢字の成り立ちから説明すると、峰が三つではない「山」や、乳首のない「母」が嫌いということになる。わたしの名は藤原幸夫で、「幸夫」の部分は、幸せだと思うし、それが表情にも表れていると思うので大丈夫だけれど、「藤原」が難しい。まず、藤原氏の家系にふさわしくないといけない。わたしは小学生の頃は図書委員でありながらにして、学級委員のやる仕事まで引き受けていたりしたのだが、果たしてそれは、摂政や関白のような行動だったと言えるのかどうかはわからない。また、藤原の語義にさかのぼって、藤でできた原に自分が似ているかというと、顔色があまりよくなくて紫がかっているところはともかく、細かく連なる花弁に相当するような器官をぼくは持っていない。強いて言うなら、肺胞が連なる肺は近いのかもしれないけれど、わたしの肺は人一倍多くのものに覆われている。肋骨、皮下脂肪だけでなく、胸毛にも覆われていて、「ほら、この奥に秘められているのは、ぼくが藤原であることを示しているよ。」と言ったところで、誰も信じてくれそうにない。
そこまで考えて、いい案を思いついた。わたしの名前がわたし自身に似ていないのであれば、生物学上の分類と同じ名を名乗るしかない。つまり、わたしの名前を「人」にすればいいと思ったのだった。ぼく自身、猿に似ていると揶揄する人もいるけれど、種としてはヒトになる。いや、ヒトです。「○○になります」という日本語が近年、「○○です」の婉曲表現として使われるシーンが見受けられるが、無から急に○○が生成されるようで気持ちが悪いという人も多い。しかし、板橋区成増で行われている「なります祭り」ではそうはいかない。自分にとって都合のよい時代の日本語を「正しい日本語」として、今の日本語の乱れを自分の髪の乱れそっちのけで憂いている人も、祭りの日は、「〜です」を「〜になります」と言わねばならないから。たとえば、おつりとして「百円です」と言うよりも、「百円になります」と言った方が、無から百円が湧き出てきているような感覚があり、非常に縁起がよいとされているのだ。
わたしは人なので「人」という名前がしっくりくるし、さらに「人」という字の成立にさかのぼったとしても、そのフィット感はまったく損なわれない。まず「人」という字。俗説では、人と人が支え合っているのが人という字とされているが、実際は人が股を開いて立っているところを文字にしたというのが正しい。人という字が発明される前、庶民は性欲を一人で処理する方法をいまだ発明しておらず、相手を見つけて性交するしか手段がなかった。それによって無闇に人口が増えたときもあったのだが、人という字の発明により、庶民は砂に「人」と書いて、手軽なエロスを楽しむことが可能になった。京都では人文字焼きも行われ、庶民たちは下半身剥き出しでうっとりしながら人文字山を見ていたのだが、室町幕府の弾圧により「人」を「大」にせざるを得ず、現在の大文字になっている。今はエロチックな要素は皆無なのが残念なところだけれど―

すると不思議なことに、さっきまで青かった瞳が茶色に、熊の手のひらをイメージさせるような色に変わってしまった。
彼は青いコンタクトレンズをつけていたのだった。
「申し訳ない。ぼくは「青い目の…」という表現にあこがれをずっと持っていたんだ。うちは貧しかったため、小さい頃から万引きのまねごとのようなことをしていた。強盗に近い罪を犯すとき、自分の罪を軽く見せようとして、万引きのように見せていたという意味合いにおいて『万引きのまねごと』だった。たとえば十五の頃。裕福な老夫婦の家に押し入り、傷をつけたことがばれないように皺にそって切り殺した。札束を用意していた西友の灰色の買い物かごに入れ、会計をすませましたという顔でビニール袋に札束を詰めて持ち去ったんだ。札束を無造作に鞄に詰めた方が、速く逃げられることは明らかだが、こうした方が万引きのように思えて、はるかに罪悪感が少ないんだ…とにかく、おなじ万引き少年でも『青い目の万引き少年=ブルー・アイド・ミリオン・プラー』と呼ばれたかった。青い目だと、瞳が茶色であるときよりも大事にしてもらえるからね。」
話がどんどん興味のない方向に流れていく。わたしは一言挟ませてもらった。
「とりあえず、その木村氏が、ドクターの言うほどひどい人間ではないということが分かったのではないかと思います。で、今回訪問する木村氏がどう思うかについてですが…」
「ちょっと待ってくれ。私のキムラ観について、まだ十分に話していないと思わないか?私にとって最後のキムラ、ラストキムラについて知りたくないのか?」
「お言葉ですが特にそうは思いません。とにかく、ぼくはまずキムラさんに引用の件について許可を得たい。そして許可を得た後ラーメンを食べたいのです。許可を無事得ることができた自分へのご褒美としてチャーシューをたくさん載せてかぶりつく。一方、載せられたチャーシューの豚は、ぼくに食べられることが光栄であり、ご褒美と感じられるにちがいないです。」
「豚が…食べられることがうれしいと…ははは。そのナルシシズム!それこそまさにラスト・キムラに似ている。我が妻、キムラ・ワドルに!キムラは、日本語で言うところのオッチョコチョイでよく転ぶのだが…」
つまりドクターは愛妻家で、私にどうしても妻を自慢したかったらしい。それにしても気になるのはキムラという名前だ。ワドルが苗字だからキムラは名前になる。ではキムラ・ワドルの旧姓は何だったのだろう。「明美」など、名前のような苗字だったから、名前は苗字のようにしておかなくては、という両親の配慮があったのだろうか―
「彼女は、つまずくものも可愛らしい。金魚の絵が描いてあるレンゲだったり、ベビーコーンだったり、蕎麦ぼうろの花の模様の方ではなく丸い方だったり…彼女の転ぶ姿がかわいくて、しかもその後つまずいたものを見るとそれもかわいらしいんだよ…」
ドクターの愛妻家ぶりに驚いた。しかし実際はそうではなかった。ドクターは、ぼくがドクターのことを―性的な意味合いにおいて―誘っていたと思っていたようなのだ。
「そういうことなので、私にはまったく隙がない状態なんだよ。残念ながら。」
「残念ながら?」
「そうだ。君の好意はうれしいが、それには応えられない。私は知っている。キムラという作者の家に行くというけれど、それがウソだということもわかっていたよ。」
「ドクター。私はそんなに手のこんだことはしませんよ。」
わたしがあきれながら言うと、訳知り顔でドクターは言った。
「ハッハッハ。私にはわかる。今まで似たような局面を何度も切り抜けてきたんだよ。われわれが乗ろうとしている山手線、円環状になって、決して抜け出すことができないこの電車からも、たやすく抜け出してみせる。」
驚いたことに、ドクターは「山手線が循環している=一度乗ると抜け出すことができない」と勘違いしているようだった。わたしは慌てて説明した。
「山手線は各駅で下車できるし、そもそも乗車できるということは下車もできるので、閉じられているはずはないじゃないですか。」
「ふーん…なるほど…では、そもそもこの拉致の発端であるキミのゆがんだ愛情…これはどう説明するのかね?」
「そもそも、私はホモセクシャルではありません。前につきあっていたのは女で、しかも典型的な女、誕生日にハンドバッグを買ってもらって喜ぶような女です。何かあるたびにハンドバッグをねだり、自分用のハンドバッグが十分になると、今度は、自分の飼っている犬用のハンドバッグをねだるような女でした。そんなぼくが、男を好きになるはずなどないじゃないですか。」
「ほう。何を隠そう、私も無類のハンドバッグ好きでね。無理やりたすきがけにするのが特に好きだな。」

ここからが面白くなるところなのだが、勢い余って一章全部を引用してしまった。この本自体、三章構成なので、ここまで長々と引用するのは、もしかすると著作権を侵害することになるのではないか、という気がしたので、確認のためにわたしは作者の木村氏の家に行くことにした。一人だと心細いので、境目に詳しく『精神の境目』という著書もある、知り合いのドクター・ワドルにお願いして同伴してもらった。ドクターは暇らしく(「ドクターという称号が、むしろ近寄りがたい印象を与えてしまい、仕事が減っている」と自己分析していて、「今度、『カズノコをたくさん食べる家庭は子だくさんである』というデタラメな論文を出して、マスターに降格してもらうようにする」と話していた)快諾してくれ、わざわざ家に迎えに来てくれた。ささやかなお礼にとメーカー名がどこにも書いていないウーロン茶の缶を差し出すと、彼は酸っぱそうにそれを飲み干した。われわれは、最寄り駅である山手線の鶯谷駅に向かった。
「ドクター。ちょっと木村氏の家に行く前に、境目についての認識を深めておきたいと思っているのですが…」
と聞くと、ドクターは、
「オッケー。精神的な境目は、今や物理的な境目と同じくらい、いや、物理的な境目よりも大きな問題であると言えるんだ。たとえば

(一)二人の人間が並んで座っている。二人の間に物理的に隔てるものが何もないが、二人の人間のうち一人は、酢豚―中国の食べ物。揚げた豚にビネガーをかける。すでにビネガーの仕上げがしてある酢豚に、客人がビネガーをかけた場合、ホストへの感謝の気持ちを示すという―にパインを乗せて食べるのを是とする者とそうでない者がいた場合
(二)二人の人間が、厚さ十センチの大理石の板で隔てられているが、二人ともがメロンの上に生ハムが乗っているものが大好きで、お金がないときは、キュウリの上にボンレスハムを載せた状態でもよいので食べたいという気持ちだった場合

(一)よりも(二)の方が、物理的には距離があるはずだが、二人の間にある心の境目としては、(二)に親近感を感じる傾向にある。(二)の場合は、仲良くなったり、あるいは仲良くなりすぎてむしろケンカになったりする。つまり、境界は、物理的な境目と、精神的な境目があり、後者の方が境界としては切実だと言えるんだよ。」
と解説してくれた。
「なるほど…これを木村氏に話せば、一目置かれて、以後の交渉がスムーズに行くような気がしてきました!」わたしは感激した。答えを探す間もなく見つけた気持ちになったのだった。しかしドクターは言った。
「それはどうかな?私はキムラという名を持った人間を五人知っている。そのうち三人は気さくで話しやすかったが、残りの二人が問題だった。一人は、頑固なスシ屋の店長だった。たかが米を握りしめたものにすぎないのに、「スシを握るのに一人前になるには二十年かかる」と言って聞かなかったな。スシの発音も外国人である私が言うのもなんだか変だったよ。彼はまったく論理的でないので驚いたな。たとえば一ピースのスシを構成している米粒の数を、多めに見積もって千三百粒だとしよう。一粒をあらゆる角度から観察したり、匂いを嗅ぎ、麦芽糖に変化しない程度に口に含んで吟味する、その作業に丸一日かけたとしても、千三百日しかかからない。三年くらいだ。それで二十年というのはどう計算しても合わないだろう?」
円滑に話が進まない苛立ちから、わたしの口から反論が出てしまった。
「…ドクター・ワドル、いや、軽蔑の意味を込めて、マスター・ワドル。外国人がスシの話題をするには細心の注意が必要であることをお忘れですか。たしかにスシに二十年かかるというのは言い過ぎかもしれません。しかし、彼の言いたかったことは二十という数字ではない。『見た目ほど単純じゃないんだ、スシは。』と言いたかったのです。スシ握りロボットを前にした場合、一般的なスシ職人は『スシを握るのに一人前になるには三十五年かかる』と語るらしいと聞きました。あなたは、十五年分引かれている。つまりキムラさんは、あなたに親しみを感じていた。もしかすると、あなたに店を継いでほしかったのかもしれません。」
「そうだったのか…青い目のスシショクニン…青い目…」
ドクターは目に涙を浮かべた。

保健所の玄関には、テロリストの役などを演じることが多い個性派俳優がほほえむ献血ポスターが貼ってあり、若者たちに献血を誘っていた。私の血は顕微鏡で見ると赤血球が止まっているように見えるほどの、いわゆる「ドロドロ血」だ。私の血が一度体についたら、洗っても洗っても落ちることはない。献血に見せかけたテロが可能なのだ。決して拭い去ることのできない血の刻印を受けた彼らにできることと言ったら、厚くファンデーションを塗ることくらいだろう。いったい被害者たちは月収の何パーセントをファンデーション代につぎこめばいいのだろう―わたしは自分のアイデアに戦慄した。
しかし、恐ろしい計画に気づくこともなく、保健所の人々は私をぞんざいに扱った。牛から乳を搾り取るような気軽さで太い注射針を刺し、私の血を抜き始めた。それだけでなく、注射歌のようなものを歌い始めたのだった。

血を抜くなら 男に限る〜
若い女は血管細く〜
何度も刺して穴だらけ〜
なのに懲りずにやってくる〜
血を抜くなら O型に限る〜
A型は注文うるさく
B型にはそもそも血液はなし〜

歌いはじめたときは、てっきり血を抜かれる苦しみを和らげてくれる歌だと思っていたのだが、実際はまるで逆、血を抜く側の面倒な気分を歌にすることで、職員たちの退屈を紛らわそうとしているだけだった。しかも、もっとも血に詳しい存在であるべきなのに、血液型占いという非科学的な占いを信じているようにも取れる。
私は血液型を発明した男、ソクラテスのことを思い浮かべた。偉人と呼ばれる人間の中で、ソクラテスほど血液にこだわった者はいない。彼が死の際に仰いだ毒杯は、血の色だったという。(不細工で有名な妻クサンチッペの血だという説もあるが、こんな説を唱えるのは日本人だけである。「クサンチッペ」が「臭い血」と音的に似ていることがその妄説の原因だというのが定説である。)
ソクラテスは、血の味が大好きだった。毎朝、地面が凸凹になっているところの近くを選んで座り込み、人が通ってつまずき、出血するのを日が暮れるまで待っていた。誰かが転ぶと手当てに駆け寄るふりをして、すばやく傷を指で拭い、手当が終わってから背中を丸めて座りこみ、指をじっくりと嘗め、味わった。その結果、血の味が人によって違ったり、違わなかったりすることに気づいたのだった。彼は何らかの形で血液を分類したいと思い、なにかいい記号はないものか…と思いを巡らせた。そして、思いついたのは以下の分類である。

・丸みを帯びた味→丸みを帯びた「B」という字で表す
・再び味わいたい極上の味→何度もくりかえす円環状になっている「O」という字で表す
・尖っていて舌のしびれる味→先が尖っている「A」という字で表す

かくしてソクラテスは、血液型とアルファベットを同時に思いついたのである。
私も素晴らしいものを発明したい。できれば、ソクラテスのように、二つの素晴らしいものを同時に思いつきたい。しかし二十世紀の今、どんな二つが残されているだろう?末期ガンの治療法と松茸の家庭栽培?これが可能だとしたら、「松茸が末期ガンに効くのだが、その家庭栽培がうまくいった」という流れになるだろう。はたして松茸は末期ガンに効くのだろうか―
そんなことを思いながらぼんやりしているうちに、ずいぶん血を抜かれた気がする。いや、そもそも、ぼんやりしていたのは、血を抜かれたことで意識が遠のいていたからかもしれない。
献血の経験のない人はなじみがないかもしれないが、そんなときのために、「増水くん」という人物がいる。人間は死ぬとき、三途の川を渡るというが、献血で意識を失ったときも三途の川が出てくることが多いらしい。しかし、献血で命を落としたということになると、以後献血する人は激減してしまうだろう。そこで「増水くん」というキャラクターが出てくる。三途の川に献血者が来ると、青いビニール袋を持ってはためかせ、増水していて到底渡れないように見せるのだ。これで献血者は「渡れないな」とあきらめ、踵を返した頃に、気付け薬代わりに与えられたヤクルトの味が口いっぱいに広がり、目を覚ますのである。
私は三途の川を見るほどではなかったのだが、彼らの乱暴な行いで我に返った。あと一ミリで外れるという寸前まで針を抜き、また針を刺し直すというのを素早く繰り返し、そのたび痛みが響いたのだった。私は痛みに耐えた。耐え抜いた。針が抜けたとき、私は不覚にも安堵の表情を彼らに見せてしまい、恥ずかしく思った。
私の抗議活動が効を奏したのか奏してないのかはわからないが、とりあえず神奈川県川崎市麻生区に央央区が統合されることはなかった。埼玉県草加市に関しても同じような経過だった。
ここで当然沸いてくる疑問として、一つの区が神奈川県川崎市麻生区と埼玉県草加市の二つと同時に区境を持つことは不可能なんじゃないか?というものがあるが、これは「物理的な区境」についてのみ考えた場合に出てくる疑問にすぎない。精神的な境目についても考える必要がある。なお、これは、央央区民だけの話ではなく、日本人、いや、地球人なら絶対避けて通れない問題だと言えるだろう―

脾臓の存在感を浮き彫りにしようと試みたが、時代がまだわたしに追いついてないこともあってか、うまくはいかなかった。また、脾臓と同様、央央区の存在感も、常に消える寸前であることは否定できない。実際問題として央央区はあたかも領地をめぐるシミュレーションゲームの駒のように東京都から外され、周辺地域に統合されそうになったことが何度かあった。一度目は神奈川県川崎市麻生区に。一度は埼玉県草加市に。大阪府摂津市と統合されそうになったこともあった。
ここに『央央区 不幸と多幸の歴史』という本がある。著者は「木村 氏」とある。マナーの悪い若者から呼び捨てにされるのを避けるため、最初から名前に「氏」をつけているようだ。央央区の統合問題に関して最も詳しく記されているので引用してみる。

〜第一章 央央区の統合騒動〜

央央区は、区として独立して以来、幾多の迫害を受けながらも独立を守りつつ、なんとか二十一世紀を迎えることができた。しかし今なお、区境を浸食しようとする動きは止むどころか、活発になる一方であり、いつ央央区がどこかに統合されても不思議ではない。
たとえば先日、私が神奈川県川崎市麻生区との境をパトロールしていたときのこと。一匹の猫が私にまとわりついてきた。紺のベルベットのズボンを履いていた関係上、毛がたくさんついてしまいそうなので軽く避けていたのだが、私のことが大好きらしく、何度も体当たりをしてきた。いつしか私は、その気持ちにほだされ、座り込んでその猫を撫でることとなった。しかしその油断がいけなかった。県境を示す標識に、他の猫たちが頭をこすりつけるふりをしてじりじりと区の内側にずらしていたのだ。ただ頭をこするくらいなら、もちろん標識はびくともしないのだが、耳と耳の間に、おそらく川崎市の職員かだれかが、サメの肌を薄くスライスしたものをひっかけていたのだ。細かい凹凸が強い摩擦力を生み、少しずつ標識を動かすという巧妙な仕掛け―私はその巧妙さに息を飲んだ。
こんなに息を飲んだのは、会社勤めをしていたときに、健康診断でレントゲン写真を撮影した時以来だった。レントゲン写真を撮るとき、よく「大きく息を吸って」と言われるが、息を吸っても吸っていなくても、写真の映りにはまったく関係ないということはあまり知られていないようだ。医師が、写真撮影に向けての意気込みを見たいからやらせているだけというのが事実らしい。医者は、なされるがままの患者よりも、自分から腹を切開してさあ見てくれというくらいの威勢のいい患者の方を好む傾向にある。なぜなら室内にこもって気力のない―病気なので当然だが―人々を相手にして、ただならぬ苛立ちを覚えているのだから。たとえばタバコ二十四本を一ダースと呼んでいたり、チーズフォンデュなのにほとんどチーズをつけずに食べたり、カレーライスより、手早く食べられるドライカレーを好んだり。類例は枚挙に暇がない。私は今まったく仕事をしていないのだが、そんな私でも、医者の苛立ちに起因する習性を挙げはじめたら、たちまち猫の手も借りたい状態になってしまうだろう。猫の手と偽って孫の手を差し出されたとしても、それをありがたいとすら感じるくらいに―
県境の件に関する怒りに、息を飲む件の怒りも加わり、私は国道を前のめりで歩き始めた。まずは神奈川県庁で、不当な領土拡大に関する抗議をし、怒りを持続させたまま今度は、私に息を飲みこませた央央区の保健所に行く―という計画を立てたのだった。
しかし私の予定は大幅に狂った。県庁の入り口では特産品でもないのに「水ようかん祭り」が開催されていた。屋上から「気に入らない水ようかんに鉄槌を」と書かれた垂れ幕がぶら下がっていて、そんな誘い文句に乗るものか、と中に入っていくと、「あなたならどっちの水ようかんを選ぶ?」と書いたパネルがあり、右には小豆のギッシリ入った水ようかんがあり、左には水飴などが多く混じっていて小豆の含有量が少なそうな水ようかんが置いてあった。私は左の、薄い水ようかんを選んで食べた。「やはり水っぽい水ようかんの方が喉越しがよいな」と思いながら小さくみじん切りになっている水ようかんを次々に口に放り込みながら、右の水ようかんを見ていたのだが、だんだんその素材感あふれる水ようかんが憎らしく思えてきた。しょせんは小豆、しょせんは菓子にすぎないのに、お高くとまりやがって…という気持ちになり、許せない気持ちになってきた。水ようかんの前には、大きな木槌が置いてあり、垂れ幕に「鉄槌」と書いてあったのに、羊頭狗肉だと思ったが、それもこれも、このふざけた「本格派」水ようかんのせいなのではないかという気がしてきて、木槌を手にした私は、勢いよく水ようかんを叩きつぶした。中から形のよい栗が出てきたのだが、すりつぶすように粉々にした。気取った水ようかんが、今や地に落ちて床の泥と一体化しているさまを見て、私は悟りにも似たカタルシスを得たのだった。
すっかり機嫌をよくした私は、県庁を出ると、保健所の方向に、前のめりに向かった。歩いている間に転びそうになり、それをごまかしそうと思ったら、スキップのようになっていった。