刑務所での暮らしは、一般的には悪くないと言える。決められた時間に寝起きして、作業などをするだけで、その作業はタンスなどを作るため、中間管理職の板挟み状況などの複雑な人間関係があったりはせず、特にストレスフルなものではない。しかし問題なのは、作業が終わったあとの課外時間だった。おのおのが趣味に応じて好きなクラブに属してよく、わたしは文学研究部という部に入った。文学研究というと、さまざまなジャンルの文学を扱っているように聞こえるが、実態は詩以外の創作活動は禁止されていた。

こころなしか
花のつぼみが昨日より小さくなったような気がする
地面の砂粒も昨日より細かい
ふと空を見上げると、飛行機雲が曲がっている
わたしの睫毛も猫の睫毛のようになる
わたしはどこに行くのだろう

文学作品が心理状態を表すという定説を逆手にとって、「この部にいるのは不安だから別の部に移らせてくれないか」と遠回しに伝える内容を書いたつもりだったが、部長―嫁の浮気相手を「バールのようなもの」で打ち殺すが、「バールのようなもの」が実際どんなものであったかは刑が確定してもわからずじまいだった―からは平手打ちをくらった。しかも部長は元水泳選手なので、水を効果的に掻く手の動きでぼくの頬を打ったため、並大抵の痛みではなかった。彼は、バタフライで水を掻いたにすぎないよと言わんばかりに、叩いた後に軽く息継ぎをして言った。
「そんなものを作っていても誰も癒されないじゃないか。癒されるものを書かないとダメだ。本当の自分を表現しようとせず、小手先で書いたものに誰が癒されると思う?誰も癒されないよ。
お前は犯罪者でありながら犯罪者の心理についてまったくわかっていない。こんなものだったら、刑務所に入ったことのない人間だって書ける。やり直しだな。まず、犯罪を種類に分け、それが主にどんな動機で行われるか徹底的にリストアップしなさい。」

・愉快犯:世間を騒がせ、自分を世の中に知らしめたいという気持ちから犯行にいたる。
・バラバラ殺人:憎すぎてただ殺すだけでは気が済まないという気持ちと、死体という大きなものをそのままにして捨てるとばれるのではないかという気持ちになり、細かくして隠したいという心理が働く。
・万引き:生活苦による場合と、単にスリルを求めてという動機の二つが主である。

思いつく限りリストアップしていった。「言い尽くした」と思わせることが大事なので、「愉快犯」を「インターネットでの殺人の予告」「食物への毒物混入」など、細かい項目に分けて水増しするなどしてごまかした。
しかし「癒されるもの」というコンセプトがぼくにとっては意外だった。そもそもわたしや、ここにいる他の人たちは、反省する必要はあっても、癒される必要はあるのだろうか。 わたしの認識では、「癒し」というと、分刻みのスケジュールで疲れ切った人たちのためのキャッチフレーズだと思っていたのだけれど、罪の償う際のストレスを癒すものを作らねばならないようだった。
わたしはやけくそになって、投げやりに詩を書いて封をし、部長に渡した。部長は読み上げると目にうっすらと涙を浮かべながらこちらを向いた。生まれて数分で目やにになりそうな、粘り気のある涙だなと思いながら、わたしはおそるおそる読み上げた。

きみは包丁をにくい人の腹に刺してねじった
内臓がおなかからクルクル回りながら出てきた
まるで花のようだった
にくい人から花が咲いた
にくい人はにくくなくなった

彼はわたしが一行一行読むごとにうなずき、読み間違えたりしたのに、そのことにも気づかない様子で涙を拭っていた。
「すごい…こんなに素晴らしい詩は久しぶりだよ。以前、中学の国語の先生をやっていて、数学の先生にすべて漢数字で教えろと言いがかりをつけた挙げ句、鉄の分度器で刺し殺してしまった先生がいたが、その先生が書いた詩以来だと思う。あなたの本当の気持ちが込められているから、これはまさに本物の詩と言えるよ。」
わたしは馬鹿馬鹿しくてやりきれなくなった。彼は一度、わたしのことを罵倒して、自己評価を最低にしておいた上で「裸の自分=本当の自分」と向き合った気持ちにさせ、「本当の自分」を表現する詩を書かせた後、ほめ称えることで、本当の自分の美しさと向き合わせるという手法を使っていただけなのだ。
しかし彼は大きな誤算をしていた。わたしは自己評価が高い。いくらけなされても、わたしはけなした人の口を見て「つばが糸を引いているな」とか「奥歯に黒く見えているのは、ネギなのか、それとも虫歯なのか?」などとしか思うくらいで、これっぽっちも落ちこむことはなかったのだった。あまりの馬鹿馬鹿しさに、一刻も早くこの場を出たいという気持ちになった。つまり、わたしは脱獄したいと思ったのだった。
翌日の夜、わたしは脱出を試みることにした。コンビニとつながっているパイプに進入するという手段で。思いのほかパイプに入るのは簡単だった。十年以上にわたる管理職の横領に気づかない大企業がいくつかあったことを思い出し「世の中には盲点がたくさんある、人間の目は二つでは不足で、あと二つくらいついていないと、すべての不正を糺すことなんて到底不可能だが、やはり四つも目があると、砂埃がひどい日やドラマで感動したときは大変なことになるな」などと思いながら機嫌よく匍匐前進を続けた。