ここからが面白くなるところなのだが、勢い余って一章全部を引用してしまった。この本自体、三章構成なので、ここまで長々と引用するのは、もしかすると著作権を侵害することになるのではないか、という気がしたので、確認のためにわたしは作者の木村氏の家に行くことにした。一人だと心細いので、境目に詳しく『精神の境目』という著書もある、知り合いのドクター・ワドルにお願いして同伴してもらった。ドクターは暇らしく(「ドクターという称号が、むしろ近寄りがたい印象を与えてしまい、仕事が減っている」と自己分析していて、「今度、『カズノコをたくさん食べる家庭は子だくさんである』というデタラメな論文を出して、マスターに降格してもらうようにする」と話していた)快諾してくれ、わざわざ家に迎えに来てくれた。ささやかなお礼にとメーカー名がどこにも書いていないウーロン茶の缶を差し出すと、彼は酸っぱそうにそれを飲み干した。われわれは、最寄り駅である山手線の鶯谷駅に向かった。
「ドクター。ちょっと木村氏の家に行く前に、境目についての認識を深めておきたいと思っているのですが…」
と聞くと、ドクターは、
「オッケー。精神的な境目は、今や物理的な境目と同じくらい、いや、物理的な境目よりも大きな問題であると言えるんだ。たとえば

(一)二人の人間が並んで座っている。二人の間に物理的に隔てるものが何もないが、二人の人間のうち一人は、酢豚―中国の食べ物。揚げた豚にビネガーをかける。すでにビネガーの仕上げがしてある酢豚に、客人がビネガーをかけた場合、ホストへの感謝の気持ちを示すという―にパインを乗せて食べるのを是とする者とそうでない者がいた場合
(二)二人の人間が、厚さ十センチの大理石の板で隔てられているが、二人ともがメロンの上に生ハムが乗っているものが大好きで、お金がないときは、キュウリの上にボンレスハムを載せた状態でもよいので食べたいという気持ちだった場合

(一)よりも(二)の方が、物理的には距離があるはずだが、二人の間にある心の境目としては、(二)に親近感を感じる傾向にある。(二)の場合は、仲良くなったり、あるいは仲良くなりすぎてむしろケンカになったりする。つまり、境界は、物理的な境目と、精神的な境目があり、後者の方が境界としては切実だと言えるんだよ。」
と解説してくれた。
「なるほど…これを木村氏に話せば、一目置かれて、以後の交渉がスムーズに行くような気がしてきました!」わたしは感激した。答えを探す間もなく見つけた気持ちになったのだった。しかしドクターは言った。
「それはどうかな?私はキムラという名を持った人間を五人知っている。そのうち三人は気さくで話しやすかったが、残りの二人が問題だった。一人は、頑固なスシ屋の店長だった。たかが米を握りしめたものにすぎないのに、「スシを握るのに一人前になるには二十年かかる」と言って聞かなかったな。スシの発音も外国人である私が言うのもなんだか変だったよ。彼はまったく論理的でないので驚いたな。たとえば一ピースのスシを構成している米粒の数を、多めに見積もって千三百粒だとしよう。一粒をあらゆる角度から観察したり、匂いを嗅ぎ、麦芽糖に変化しない程度に口に含んで吟味する、その作業に丸一日かけたとしても、千三百日しかかからない。三年くらいだ。それで二十年というのはどう計算しても合わないだろう?」
円滑に話が進まない苛立ちから、わたしの口から反論が出てしまった。
「…ドクター・ワドル、いや、軽蔑の意味を込めて、マスター・ワドル。外国人がスシの話題をするには細心の注意が必要であることをお忘れですか。たしかにスシに二十年かかるというのは言い過ぎかもしれません。しかし、彼の言いたかったことは二十という数字ではない。『見た目ほど単純じゃないんだ、スシは。』と言いたかったのです。スシ握りロボットを前にした場合、一般的なスシ職人は『スシを握るのに一人前になるには三十五年かかる』と語るらしいと聞きました。あなたは、十五年分引かれている。つまりキムラさんは、あなたに親しみを感じていた。もしかすると、あなたに店を継いでほしかったのかもしれません。」
「そうだったのか…青い目のスシショクニン…青い目…」
ドクターは目に涙を浮かべた。