すると、はるか先から、ジェット機のような音が聞こえてきたかと思うと、柔らかくて熱いものがわたしの頭を直撃した。おでんのはんぺんだった。はんぺんがこんなに熱いとは驚きだった。こんなものが何度も飛んで来たら、わたしははやけどで死んでしまうと焦ったが、今さら後には引けはしまい。どうやらコンビニの店員は、オリンピックのマイナーな競技の選手らしく、コンビニの店員のアルバイトをしながら体を鍛えており、刑務所へ食物を投げ入れるのも、トレーニングとしているらしい。
「ここでのトレーニングはやめてくれー」
わたしは前に向かって大声で叫んだ。
「無理ですよー。ぼーくーはー、金メダルがほしいのですー。ぼーくーのー、褐色の肌にはー、金メダルがー、とてもよーく似合うと思います。本を投げる距離、最近、どんどん伸びているんですよー。」
本投げという競技が新しくオリンピックでできたのだろうか。不可思議な競技だとは思ったが、納得がいかないこともない。肉体ばかりを鍛えて競うというのは、人格形成期にいびつな成長を遂げてしまうのではないか、と誰かが言いだして、それではプルーストの『失われた時を求めて』をセットにして投げるのはどうかと提案する。それならば、少なくともタイトルだけは読んで、練習中に「失われた時とはなんだろうか。時間そのものが失われているのか、それとも、主人公が刑務所に入れられるなどして青春を無駄遣いしたということか、そもそもこのタイトルは意訳をしていて、もとの題を直訳すると『雄鹿のオレンジのような尻』、などの全然関係ないタイトルなのだろうか」などと思索にふけってもらえるはずだ。なるほど、悪い競技ではないと思うも、熱いはんぺんが次々と顔や手に当たり、全身にやけどをし、皮膚が破けて血が出てきた。部長はいつも刑務所のご飯の味の薄さに関して、「臭い飯というか…薄い飯だよな」と言っていたが、明日から明後日くらいまでは、わたしの血の塩分でちょうどよい味付けになるから、上機嫌で食事をするに違いないと思った。
体中、水ぶくれになり血まみれになりながら、わたしはコンビニの事務室にたどり着くことができた。たどり着いたときには金メダリスト候補はいなくなっていた。わたしをこんなに熱い目に遭わせたのだから、メダルを取ってくれと願った。事務室には飲み物がたくさん入った段ボールと机があり、机の上には央央区報が置いてあった。わたしは段ボールからまったく冷えていないコーラを取り出し、飲みながら央央区報を眺めた。
「ますます発展する央央―北海道札幌市中央区に統合」
札幌…あまりにも意外な展開にわたしは開いた口がふさがらなかった。しかし、札幌に統合されたら気温が下がってしまうような気がしたので、体温を逃さないよう、わたしはあわてて口を閉じて体を丸くして記事を読みふけったのだった。 (了)

刑務所での暮らしは、一般的には悪くないと言える。決められた時間に寝起きして、作業などをするだけで、その作業はタンスなどを作るため、中間管理職の板挟み状況などの複雑な人間関係があったりはせず、特にストレスフルなものではない。しかし問題なのは、作業が終わったあとの課外時間だった。おのおのが趣味に応じて好きなクラブに属してよく、わたしは文学研究部という部に入った。文学研究というと、さまざまなジャンルの文学を扱っているように聞こえるが、実態は詩以外の創作活動は禁止されていた。

こころなしか
花のつぼみが昨日より小さくなったような気がする
地面の砂粒も昨日より細かい
ふと空を見上げると、飛行機雲が曲がっている
わたしの睫毛も猫の睫毛のようになる
わたしはどこに行くのだろう

文学作品が心理状態を表すという定説を逆手にとって、「この部にいるのは不安だから別の部に移らせてくれないか」と遠回しに伝える内容を書いたつもりだったが、部長―嫁の浮気相手を「バールのようなもの」で打ち殺すが、「バールのようなもの」が実際どんなものであったかは刑が確定してもわからずじまいだった―からは平手打ちをくらった。しかも部長は元水泳選手なので、水を効果的に掻く手の動きでぼくの頬を打ったため、並大抵の痛みではなかった。彼は、バタフライで水を掻いたにすぎないよと言わんばかりに、叩いた後に軽く息継ぎをして言った。
「そんなものを作っていても誰も癒されないじゃないか。癒されるものを書かないとダメだ。本当の自分を表現しようとせず、小手先で書いたものに誰が癒されると思う?誰も癒されないよ。
お前は犯罪者でありながら犯罪者の心理についてまったくわかっていない。こんなものだったら、刑務所に入ったことのない人間だって書ける。やり直しだな。まず、犯罪を種類に分け、それが主にどんな動機で行われるか徹底的にリストアップしなさい。」

・愉快犯:世間を騒がせ、自分を世の中に知らしめたいという気持ちから犯行にいたる。
・バラバラ殺人:憎すぎてただ殺すだけでは気が済まないという気持ちと、死体という大きなものをそのままにして捨てるとばれるのではないかという気持ちになり、細かくして隠したいという心理が働く。
・万引き:生活苦による場合と、単にスリルを求めてという動機の二つが主である。

思いつく限りリストアップしていった。「言い尽くした」と思わせることが大事なので、「愉快犯」を「インターネットでの殺人の予告」「食物への毒物混入」など、細かい項目に分けて水増しするなどしてごまかした。
しかし「癒されるもの」というコンセプトがぼくにとっては意外だった。そもそもわたしや、ここにいる他の人たちは、反省する必要はあっても、癒される必要はあるのだろうか。 わたしの認識では、「癒し」というと、分刻みのスケジュールで疲れ切った人たちのためのキャッチフレーズだと思っていたのだけれど、罪の償う際のストレスを癒すものを作らねばならないようだった。
わたしはやけくそになって、投げやりに詩を書いて封をし、部長に渡した。部長は読み上げると目にうっすらと涙を浮かべながらこちらを向いた。生まれて数分で目やにになりそうな、粘り気のある涙だなと思いながら、わたしはおそるおそる読み上げた。

きみは包丁をにくい人の腹に刺してねじった
内臓がおなかからクルクル回りながら出てきた
まるで花のようだった
にくい人から花が咲いた
にくい人はにくくなくなった

彼はわたしが一行一行読むごとにうなずき、読み間違えたりしたのに、そのことにも気づかない様子で涙を拭っていた。
「すごい…こんなに素晴らしい詩は久しぶりだよ。以前、中学の国語の先生をやっていて、数学の先生にすべて漢数字で教えろと言いがかりをつけた挙げ句、鉄の分度器で刺し殺してしまった先生がいたが、その先生が書いた詩以来だと思う。あなたの本当の気持ちが込められているから、これはまさに本物の詩と言えるよ。」
わたしは馬鹿馬鹿しくてやりきれなくなった。彼は一度、わたしのことを罵倒して、自己評価を最低にしておいた上で「裸の自分=本当の自分」と向き合った気持ちにさせ、「本当の自分」を表現する詩を書かせた後、ほめ称えることで、本当の自分の美しさと向き合わせるという手法を使っていただけなのだ。
しかし彼は大きな誤算をしていた。わたしは自己評価が高い。いくらけなされても、わたしはけなした人の口を見て「つばが糸を引いているな」とか「奥歯に黒く見えているのは、ネギなのか、それとも虫歯なのか?」などとしか思うくらいで、これっぽっちも落ちこむことはなかったのだった。あまりの馬鹿馬鹿しさに、一刻も早くこの場を出たいという気持ちになった。つまり、わたしは脱獄したいと思ったのだった。
翌日の夜、わたしは脱出を試みることにした。コンビニとつながっているパイプに進入するという手段で。思いのほかパイプに入るのは簡単だった。十年以上にわたる管理職の横領に気づかない大企業がいくつかあったことを思い出し「世の中には盲点がたくさんある、人間の目は二つでは不足で、あと二つくらいついていないと、すべての不正を糺すことなんて到底不可能だが、やはり四つも目があると、砂埃がひどい日やドラマで感動したときは大変なことになるな」などと思いながら機嫌よく匍匐前進を続けた。

しかし驚くべきことに、ブーブークッションの音が鳴ると同時に、具が多めのタマゴサンドが天井に開いていた穴から降ってきた。しかも、ブーという音を聞きつけ、若くて美しい女性三人組が部屋に入ってきて「何これ…くさーい」と鼻をつまみながら入ってタマゴサンドをほうきとちりとりで回収していったのだった。音と臭いでおならをしたのと同等の状況を作り上げられ、さすがにわたしは恥ずかしさで縮こまってしまった。しかし、それが嫌だからといって何時間も立っているわけにはいかない。五時間ほど直立不動の姿勢をとっていたのだけれど、我慢できなくなって座ると同じくブーとクッションが鳴り、タマゴサンドが降ってきた。しかも先ほどとは異なり、タマゴに温泉タマゴを使っているらしく、よりおならの臭いに近くなってきた。回収にきた女の人たちはさっきと同じ人だったのだが、さきほどよりも化粧が濃くなっていて、「こんなに美しく変身した魔性の女に、臭いものを片づけさせるの?」と言わんばかり。
恥ずかしさで意識がもうろうとする中、木村氏がやってきてわたしに言った。
「世界痴漢未然防止協会の存続のためにはあなたは邪魔なのです。あなたは弁護人の活躍もむなしく実刑判決を受け、獄中で死ぬことになるのです。」
「なぜですか…ぼくみたいなどうでもいい人間が組織のじゃまになるわけないじゃないですか。」
「そういう話はあなたの弁護人とすればいいじゃないの。」
ほどなくしてわたしは釈放された。国選弁護人をあてがわれ、面会することになった。彼の名は本村といって、それだけで木村に似ていたので嫌悪感を催したのだが、待ち合わせの喫茶店で、彼が現れ、開口一番、
「こんにちは本村です。いやー昨日の巨人はすごかったですねぇ。ホームラン五本も打つなんて、ねえ!」
と言ったので悪い予感が的中したと思った。会話の糸口として野球の話をしたのかと思うとそうではなく、延々と野球の話をまくしたてたのだった。
「わたしはホームラン以外は得点として認めないんですよ。ホームランを何本打ったか、それがすべてです。その方がルールとしてわかりやすいと思うんですよ。最近の若者の野球離れ、この原因はルールがわかりにくいことにあるのではないだろうかと思うんです。子供の学力低下、また体力の低下に合わせてルールも簡略化すべきです。打ってから走るというのは負担が重すぎる。両チーム九回裏まで戦って、ホームランの本数のみで競うのです。あと、野球を見ている中で他のことも学べなければ親たちは子供に野球を見せなくなるでしょう。なので、バットの形状を、先細りにして、小学生の包茎ペニスと同じような形にします。そしてホームランを多く打つバッターは皮が剥け、先が大きく張り出した形になるように設計します。成熟することで皮が剥けることを伝えるのです。また、ホームランが飛び込んできた観客席からは、スプリンクラーから、片栗粉が混ざっていてとろみのある塩水が出てくるようにします。弾丸ライナーで飛び込んで来たときにはたくさん、ゆっくり入ってくるホームランでは少し出るようにします。野球を通じて性教育を済ませてしまうのです。これなら、いちいち性教育の時間を設けるまでもなく、野球の試合を見れば、どうやって子供ができるかがわかります。」
わたしが言葉を差し挟む間もなく、彼は野球観について語りはじめた。そのついでに、ぼくの弁護の話をした。
「どうせやったんだろうから、素直に謝りなさい。高校球児のような素直さで…もちろん、法廷は脱帽状態で入らないといけないので、帽子を取って頭を下げることはできない。そこでカツラをはずして頭を下げるんですよ。あなたはげてないので、頭を公判の日まで剃っておいてください。裁判用のカツラを用意しておくので、それをつけて出廷し、申し訳ありませんでした、とそのカツラを外して一礼、それで執行猶予がつきますから。」
公判の日、わたしは言われたとおりにカツラをした。思いのほか、カツラというものは蒸れてかゆくなるもので、何度か隙間に指を入れて掻いていた。しかし、かゆみの原因は蒸れではなかった。わたしの指にはシラミがついていたのだった。
 「シ・ラ・ミ!」
裁判官が話しているにもかかわらず、わたしは大きな声をあげてカツラを地面にたたきつけ、踏みつけてしまった。どうやら弁護士はカツラを愛犬につけて芝居をして楽しんだりしていて、その時にシラミがついたようだったが、そのせいでわたしは実刑判決を受けることになってしまった。
刑務所でのご飯はよく「臭い飯」と言われる。しかし実際のところは臭くない。むしろ臭くない、腐らないところが問題だと言える。わたしの収監された央央区の刑務所の場合、近所にあるコンビニエンスストア数軒から直接パイプが伸びていて、賞味期限の切れたものはその管を通り、食堂に直接届くようになっている。食堂の真ん中には半径一メートルのクッションがあり、管を通った弁当やパンが着地するという仕掛けだ。すき焼き弁当などのタレが着地のショックで漏れることがあり、クッションには無数のシミがついていて甘辛い臭気が立ちこめていた。囚人たちからそのクッションは「ラフレシア」と呼ばれていた。

ゴムのきついパンツを履いた婦人警官と木村氏による尋問が始まった。
「とりあえずここに座って。タバコ吸う?」
「いや、これがありますので。」
わたしはくさやスティックを吸った。じっくりと手でいじり回し、体温を伝え、臭いが広がるようにした。臭気に耐えかね、すぐに帰したいと思わせるためだった。しかし彼女らの鼻を見て落胆した。鼻毛が密生していて、鼻水と鼻くそのちょうど中間にあたる半透明の粘り気のある物質が鼻毛に絡んでいたのだった。彼女らに臭いなどわかるはずもなく、臭いにむせ返ったのは結局わたし自身だけだった。
「いったいどういうことですか?ぼくは何も悪いことをしていません。」
「あら!人のパンツを覗きこむというのは立派な犯罪じゃない。迷惑防止条例・第五条一項違反よ」
「のぞきこんでいません。たまたまぼくの目がくぼんでいるので、何を見てものぞきこんでいるように見えるだけです。」
「この場に及んで否定すると罪が重くなるのに…はやく認めてしまいなさいよ」
「だから言っているじゃないですか。のぞいていないって。」
「実際にあなたの網膜に映ったのか、とか、あなたがそれをどう感じたのか、とか、そんなことはどうでもいいの。問題は、被害者が恥ずかしい思いをしたかどうか、そういうことなのよ。」
「では、たとえば白人には目がくぼんでいる人が多いですが、彼ら彼女らを全員逮捕しろとでも言うのですか?」
「そりゃそうよ。そこにいるだけで覗かれている気がして恥ずかしいわ。女に生まれてこんなにつらいことはないわ。白人を中心に、逮捕し始めているところなの。」
わたしが連れて行かれた留置所には、彼女らが言うとおり、白人がSUSHI詰めになっていた。白人たちは、皆不服そうな表情を浮かべていた。中には、今さら自分の目のくぼみを少なく見せるため、一生懸命眉を押している者もいる。その中に見た顔がいると思えば、先ほど別れたはずのドクター・ワドルだった。
「ご無沙汰しています」
わたしは何事もなかったように声をかけた。
「キミなら捕まると思っていたよ…なんか国家的陰謀の臭いがするね。」
「国家的陰謀?」
「そう。これを…」
ワドル氏が広げたのは、文庫本ほどの小さな冊子。表紙には「世界痴漢未然防止協会」と書いてあり、さまざまな二枚貝がぴったりとフタを閉じられた写真が載っており、女性の貞操を表しているようだった。表紙をめくると、アジアのさまざまな人が白人や黒人にパンツを覗かれている絵が描かれており「痴漢には重罪を」と書いてあった。痴漢について書いているのだが、あたかも外国人は全員痴漢であるような描き方になっている。
痴漢撲滅は表向きの話、これは外国人を排斥する運動なのではないだろうか。わたしは直感的に思った。新しいナショナリズムの誕生なのだろうか。冊子をもぎとり、あわててページをめくった。逮捕されたショックで脂汗が出たせいか、ページは軽やかにめくれ、万札を数える銀行員のような気持ちになった。最後のページを火薬を仕込んだみたいにパチンと鳴らすと、そこには「世界痴漢未然防止協会沿革」が書いてあった。
それを読んで判明したのだが、どうやら、この団体、太平洋戦争での「大日本国防婦人会」を前身とする団体のようだった。銃後の国を守る団体だったが、終戦後、いったんは解体され、婦人たちは「経済革命婦人会」と改称し、高度経済成長期にはサラリーマンの夫の銃後を守り、経済革命による大東亜共栄圏の確立を目指していたのだったが、全自動洗濯機などに代表されるような家電のオートメーション化に伴い、アイデンティティを失ってしまう。そこで生まれた新たな目標が「痴漢撲滅」だった。痴漢をこの国から撲滅し、道徳でアジアのリーダーシップを取ろうと考えているようだった。まず武器を持つ必要があるということで、世界痴漢未然防止協会の会員は、自衛隊や警察官になる者が多く、特に警官になった者は、外国人を痴漢として逮捕し、国外へ追放することが当面の主たる活動である、と書いてある。木村氏も、わたしを逮捕した婦人警官も、活動の一環としてぼくを捉えたということになる。しかし、ワドル氏はともかく、わたしはなぜ国家の敵とみなされたのだろうか?
 「あなたはこちらの部屋よ。」
婦人警官は長らく開けていないとおぼしきドアを開けた。
「ここに座りなさい。」
婦人警官が指さした椅子の上にはクッションが乗せてあっただが、中央が不自然に盛り上がっていた。どんな愚鈍ないじめられっ子が見ても「ブーブークッションが仕掛けられている」とわかるはず。気にするほどのことではないと思って座ると、案の定、ブーと音がした。わたしは小学生の頃、三回ほど引っかかったことがあったので、この程度のことは、まったく恥ずかしいと思わない。

われわれは、女性がパンツを脱いだ瞬間を狙い、体をくねらせ、パンツとは似ても似つかないラグビーボール状の物体へと変化した。われわれは女性の家から脱出し、坂道を転がっていった。好奇心の塊と化した子犬がわれわれを追ってきた。子犬の柔らかく暖かい内臓を想い、途中でほどけて子犬の肛門を目指す軟弱者もいたが、私の決意は固く、ボールが崩れることはなかった。

「なるほど…つまり、下着に成り下がっていた回虫たちが自立した生物として革命を起こすということですね」
「そう。あと、私の工夫に気づいてくれたかしら。回虫は「個」という意識が少ないため、最初は主語のない文で読みにくいでしょ。しかし、徐々に主体という意識に目覚め始めるの。これ自体『アルジャーノンに花束を』のようで、その凝った作りが、これから若い女性の人気を集めると思うわ。」
そんな馬鹿な…と思っていたら、突然彼女が泣きだした。
「くだらないと思ったでしょ?前に書いた境界に関する本がまったく売れなかったから焦っているの。もうなんでもいい。とにかく売れる本を書きたいの。」
わたしは、最近のヤクザの手口の巧妙さについてのテレビ番組を思い出した。昔のヤクザは、女に誘わせて性行為をさせたあと、「俺の女に手を出すな」と現れ、金を脅し取るケースが多かったらしいが、最近はエスカレートして、単に泣かせただけで「俺の女を泣かせるとは何事だ」と言ってくるケースがあるという内容だった。さすがに十年前なら通用しない手口だが、最近は応じる人もいるという。テレビでは、タマネギ農家からラーメン屋の店員に転職した男が騙されたケースが語られていたが、これらの極端な事例の背景にあるのが、大人の幼児化だと思う。小学生は、泣いた時点で、その人が何らかのもめごとにおける加害者・被害者であることを問わず、治外法権になってしまうが、これも同じであると言える。このまま泣かれつづけた場合、ヤクザがやってくるに違いない―
わたしは風で涙を乾かし証拠隠滅をはかるため、彼女を外に誘い出すことにした。
「なるほど…では実際に風の強いところに行って女性のパンツを見れば、革命の進展ぶりが確認できるかもしれません。革命というのは、それが起こるまでは水面下で進行しているものなので、首謀者にもわかりにくい…」
「うん…じゃあ出てみる」
突然話し方が女らしくなってきて気持ちが悪くなった。しかしそのことを指摘すると泥沼になるのは目に見えている。わたしはそのことについて触れず、二人で外に出た。
ほどなくして突風が吹いた。買い物帰りの中年女がたまたま通りかかっており、見事にスカートがめくれ、パンツが見えた。また、パンツのゴムに締め付けられた跡が何重にも刻み込まれて痛そうな様子。
あまりにも痛そうだったので、思わず
「失礼ですが…腰回りは大丈夫ですか?」
と尋ねた。すると、突然、女はハンドバッグから手帳を取り出し、
「逮捕する」
と言って、わたしにひんやりとした手錠をかけたのだった。そして彼女なりの配慮からだと思うのだが、手錠をかけるやいなや、上からタオルを腕にかけた。そのタオルには、海女さんが潜水中に真珠を見つけている刺繍がしてあり、女はそれが上にくるように素早く整えた。女が暇なときに作った刺繍だろうか。彼女は真珠のところを指し、
「これがあなた。というか、あなたのしたこと、ね。そして海女さんは私。」
そのまま角にとめてあったミニパトカーに乗せられた。

小さな疑問はたちまち確信へと変わった。門柱の下に隠しカメラが仕掛けられていた。もしやと思って上を見ると、電信柱にもカメラが備え付けてあった。つまり、パンツと顔が同時に見られるよう仕掛けになっているのだった。
そんな人間の住処のドアチャイムを押したら何が起こるかまったく想像がつかない。いや、あえてそこを踏んばって想像力を働かせてみると―たとえばドアチャイムのボタンが、木村氏の乳首である可能性もある。ボタンを押すと、ボタンがみるみる固くなるのだ。「こんにちは」と話しかけた先、ドアチャイムの話すところが彼の耳である可能性もある。大声で話すと鼓膜が破れ、訴えられる可能性もある。まったく関係のない部位をボタンとマイクに振り分けている可能性もないわけではない。ボタンが眉でマイクが肘、という、不可解な組み合わせも想定できる。
しかしどの部位であっても、人体の一部がドアチャイムになっている以上、丁重に扱わざるを得ない。わたしはそっとドアチャイムのボタンを押した。意外にも、ドアチャイムは、どこにでもあるプラスチック製で、マイクはマイクだった。マイク・イズ・マイク―アメリカではいったい何人のマイクがこのように揶揄されたことだろう。コーラの一気飲みに失敗し、むせかえって「マイク・イズ・マイク」と言われたり、ソバカスだらけの女の子のパンツをめくるのに失敗して「マイク・イズ・マイク」と言われたり―そんなマイクから聞こえてきたのは、意外にも女の声だった。

「ああ、あの本ね。あのときの私は熱かった…あのときのわたしは、誰にも止められなかったわ」
ドアが開くなり著書を取り出して見せると、彼女は冷めた口調でそう言ったのだった。それについて語ってもいいが、私はたぶんあなたが満足するようなお返事はできないわ、といった様子。
「央央区の境界についてファミリーレストランで考えているうちに、うっかりコーヒーをスカートにこぼしてしまったの。こぼしたというか、そのままパンツの上にかけたのに近かったかな。太股から流れて陰毛の茂ったところにコーヒーが流れこんできたの。根元のところは、よくコーヒーをはじいたのだけれど、先端は枝毛になっているせいか、じんわりとコーヒーがしみこんで―
とにかくそのときに気になったのは、自分の太股とお尻の境界がどこにあるかについてだった。自分の境界すら守れない人間が、区の境界がウンタラカンタラ…って、そんな権利ないんじゃないか?と思ったわけよ。」
そんな彼女は先日、『下着革命』という物語を出版したらしい。
「そう。革命は、女のスカートの中で起こるのよ…ちょうどエッフェル塔の下あたりで。ズボンの場合は、蒸し暑い途上国での革命を想像するといいわ。ここは日本で一番風の強いところなの。ここを通る女たちは、かならずパンツが見えるようになっているの。ここから革命が起こるのよ」
「下着の革命…ですか。下着のフリフリしたものの数が爆発的に増えるとか、そういう革命でしょうか?」
「違うわ。下着が変わるのではない。下着が変えるの。下着が主体となって起こす革命。もう隠された存在でいるのはたくさんだということよ。」
彼女は本にサインをしてわたしに渡した。その『下着革命』には、下着を啓蒙し、革命の主体となり、革命政権樹立までのシナリオが描かれていた。以下、引用する。

有志より長きに渡って「下」着の名に甘んじてきた下着たち。隠された存在として、常に「上」着の下に位置づけられてきた。下着自身の手で、上着に打ち克ち、下着が上着と呼ばれ、上着が下着と呼ばれるような理想社会をつくるべきだろう。しかし下着は無生物…たとえどんなに排泄物や体液がついていたとしても、下着自身が生命を持つことはありえず、下着そのものが命を持っていないと下着による革命は起きえない。
そこで私は考えた。回虫や線虫を編んで下着にするのである。豚の腸の長めの豚の養殖した回虫を、つぎつぎに床にたたきつけて仮死状態にし、そのまま陰干しにし、乾いたら編む。ちょうど時限爆弾のように、女性が身につけて、性器が湿り気を帯びるようなことがあると、たちまち回虫や線虫は眠りから覚めるのである。たとえば目覚めた回虫はこのようなエッセイを書くことだろう―

なま暖かい粘液の中で目を覚ました。どうやら人体の外にいるようだ…寒い…早く人体の中に入りたいと思い、のたうった。
そのときである。尾が頭を打った。
「ばかもの!いつまで人体人体言っておるのか!軟弱な!」
口ぶりからすると、ずいぶん年老いた様子であるが、回虫の寿命は数ヶ月。一ヶ月長生きしているからといって威張られたくはないとは思ったが、話に耳を傾けると
「お前、進化論を知っておるか?」
「いえ、どういう論なのでしょう?」
「論…うーん…平たく言うと、バクテリアがだんだん高度な知能や動きを持ち、人間になるという話、それが進化論だ。われわれ回虫は、どちらかというとバクテリアの方に近く、生物としては低級かもしれない。そうだとしても、寄生している生命体の外に出、自立して生きるべきじゃないか?
たとえば、いつまでも母親から離れられない男をマザコンと呼んで馬鹿にする習慣があるが、よく考えてみると、われわれ回虫の場合、馬鹿にされる方もする方も、人体の中で言い合っているにすぎない。何と恥ずかしいことであろうか。」
私は彼の言葉を聞いて興奮のあまり、体長が半分ほどに収縮した。
「では、私も、生命体の消化器に入りたいという気持ちを乗り越え、強く生きていこうと思います。」
「わかってくれたかね。しかしまだ足りない。われわれは今、人類のパンツとなっている。パンツとして人体に接することで、外にいるのはいるのだが、体温を分けてもらっている存在だ。人間の道具として生きている状態。ここから独立しないことには真の独立とは言えないであろう!」
私は目から鱗が落ちた気がした。もともと目も鱗もないので想像にすぎないが―
「なるほど!では、手順としては、人間のパンツから離れ、パンツではない、回虫の共同体を作るということですね。」
そう。われわれは今、パンツという存在に貶められているが、人間の道具に成り下がるのではなく、われわれ独自の存在として生きるべきなのだ。それが革命なのだ。

男が差し出したパンフレットには、種類別に「良薬は口に苦し」の比喩で使われるものたちが、良薬にあたらないという科学的説明が記されていた。
「くさやは…このページにある。あれも実は健康にはよくないんだ。」
パンフレットにはこう書いてあった。

くさや
【一般的に信じられている説】
くさやは健康によい食べ物と見なされています。乳酸菌の一種がくさや菌であり、健康によい成分も含まれているのですが、それにも増してその臭さから「単に臭いのではないだろう。きっとすばらしく健康を向上させる物質が含まれているに違いない」と邪推されているというのが現状です。
【真実】
食べるときに鼻の息を止めるので、口で呼吸することになって危険です。まだ呼吸に慣れていない乳幼児は特に危険。離乳食に入れるなどすると、口呼吸が定着してしまいます。
また、口の中に入れたまま寝ると、ハエが来る可能性が高く、独立心旺盛なウジの場合は、産み落とされるやいなや動き始めるので、一晩で口の中がウジだらけになってしまいます。取り扱いにはくれぐれも注意してください。

「なるほど。注意が必要ですね!」
ウジが沸く危険性に大げさに怯えてみせながら、わたしはくさやスティックを一箱買って口に入れ、再び歩き始めた。歩くと呼吸が荒くなり、口いっぱいにくさやの香りが広がってきた。ぼくは漁師の妻が、夫の無事を祈りながらトビウオに乳酸菌をかけているところを想像し、夫婦の絆についてぼんやりと考えた。
しかし、パッケージの裏に描かれている風景は、わたしの想像とはかけ離れた世界だった。小太りで、バンダナをしめ、レーサーがするような指先の開いた革手袋をした四十歳過ぎの男が小舟に乗って、眉間に皺を寄せながら網を引き揚げると、トビウオではなく、くさやの干物そのものがかかっているという絵だったのだ。
イラストの下には解説があった。

くさや―
かつてはトビウオを加工して作っていたが、昭和二十年、横須賀で自爆兵器「伏竜」の部隊が、天然のくさやが泳いでいるところを発見、酸素マスク越しにわかるくらいの鮮やかな香りだった。兵士たちは、クリーム色の平べったい魚がユーモラスに泳ぐさまを見て、自分の置かれている過酷な使命を一瞬忘れて微笑んだという。
今では、その臭気から、身寄りがない独身男性がおもに漁にあたっている。

驚きのあまり、思わずくさやスティックを噛み切ってしまった。すると、当然ながら口の中にタンパク質の腐った独特の匂いが広がった。わたしは苦しくなって喉をかきむしった。幸いなことに、わたしは爪を切るのが趣味だったため、力いっぱいかきむしっても喉は無傷だった。その様子を見た猫がわたしのところに猛然と駆けこんできた。まるで撫でろと言わんばかりに。たしかにわたしは、「猫にとって都合のよい人間」なのかもしれない。口からはくさやの匂い。このかきむしり方で自分の背中や喉をかかれたら…と思っているのだろう。仕方なく撫でようとすると、カブトムシやゴミムシダマシなど、かゆみが生じても打つ手がないはずの外骨格生物たちが「この人なら何とかしてくれるはず」と米粒くらいの脳で考え、寄ってようだ。
外骨格生物の死因の三割は「かゆみによる発狂」であると言われている。体にかゆみが生じて、脚で掻いたとしても、固い殻を通して軽い衝撃が伝わる程度に過ぎない。彼らのかゆみの元凶に直接アプローチすることは不可能に近い。むしろ軽い衝撃が新たなかゆみを生み―という悪循環を作り出してしまうことが多い。このループに陥ってしまった外骨格生物は高い確率で死に至る。たとえば柴犬とプードルのように―どちらがどうだとはとてもわたしの口からは言えないが―同じ外骨格生物の中にも頭の良し悪しがあり、たとえばカブトムシの雌の場合は、かゆくならないよう、不潔そうな水たまりの水は飲まないように心がけたりしているのだが、ゲジゲジなどの多足類は、脚の管理に精一杯であるせいか、かゆみには無頓着で、クセのある木の樹液の周りを平気で歩いたりし、当然のごとくかゆみに耐えきれず狂い死にしていくことが多い。かゆみを防ぐ知恵はなくとも、かゆみが発生したときの対処法くらいは覚えていてほしいと思うのだが、わたし自身そんなに昆虫が好きではないので彼らの体を掻くのはあまり好きではない。また、勢いよくかきすぎて潰してしまったら申し訳ないという思いもある。昆虫たちのほとんどは、子が生まれるときに親は死んでいるけれど、まれに生きていた場合などは、親に先立たせてしまうということも考えられ、そんなことになったらますます申し訳が立たない。
わたしは寄ってくる虫たちを手で払いのけ、立ち上がり、先に進むと、ようやく「木村」の表札を持つ家の前にたどり着いた。わたしはうれしくなって表札を撫でたのだが、それだけでこの木村という人物がただものではないということを悟った。まず表札は筆で立体的に彫られていたのだが、その彫り方が筆遣いを一切考慮しない彫り方だった。たとえば、深く彫るべき「トメ」の部分が浅く、浅く彫るべき「ハライ」の部分が深彫りされている。これは意図的に「筆の力の入れ方と深さを反比例させて彫って」と頼んだとしか思えない。しかも、「木」の字には成長した跡が伺えた。「木」の字が「本」に近くなってきている。少しずつ風によって削られていると推測されるのだけれど、表札の字が変わるほど風が強い地域なのだろうか―
そう思った瞬間、わたしの体は突風によって五十センチほど動いた。この風か。しかしビル風でもないのに、東京にこんなに強い風が吹く地域があったとは。わたしは呆然としながら風に吹かれた。あえてこんな風の強いところに居を構えようとする意図がわからない。たとえば道行く人たちのスカートがめくれ、パンツが見えるのを期待しているとでも?