すると不思議なことに、さっきまで青かった瞳が茶色に、熊の手のひらをイメージさせるような色に変わってしまった。
彼は青いコンタクトレンズをつけていたのだった。
「申し訳ない。ぼくは「青い目の…」という表現にあこがれをずっと持っていたんだ。うちは貧しかったため、小さい頃から万引きのまねごとのようなことをしていた。強盗に近い罪を犯すとき、自分の罪を軽く見せようとして、万引きのように見せていたという意味合いにおいて『万引きのまねごと』だった。たとえば十五の頃。裕福な老夫婦の家に押し入り、傷をつけたことがばれないように皺にそって切り殺した。札束を用意していた西友の灰色の買い物かごに入れ、会計をすませましたという顔でビニール袋に札束を詰めて持ち去ったんだ。札束を無造作に鞄に詰めた方が、速く逃げられることは明らかだが、こうした方が万引きのように思えて、はるかに罪悪感が少ないんだ…とにかく、おなじ万引き少年でも『青い目の万引き少年=ブルー・アイド・ミリオン・プラー』と呼ばれたかった。青い目だと、瞳が茶色であるときよりも大事にしてもらえるからね。」
話がどんどん興味のない方向に流れていく。わたしは一言挟ませてもらった。
「とりあえず、その木村氏が、ドクターの言うほどひどい人間ではないということが分かったのではないかと思います。で、今回訪問する木村氏がどう思うかについてですが…」
「ちょっと待ってくれ。私のキムラ観について、まだ十分に話していないと思わないか?私にとって最後のキムラ、ラストキムラについて知りたくないのか?」
「お言葉ですが特にそうは思いません。とにかく、ぼくはまずキムラさんに引用の件について許可を得たい。そして許可を得た後ラーメンを食べたいのです。許可を無事得ることができた自分へのご褒美としてチャーシューをたくさん載せてかぶりつく。一方、載せられたチャーシューの豚は、ぼくに食べられることが光栄であり、ご褒美と感じられるにちがいないです。」
「豚が…食べられることがうれしいと…ははは。そのナルシシズム!それこそまさにラスト・キムラに似ている。我が妻、キムラ・ワドルに!キムラは、日本語で言うところのオッチョコチョイでよく転ぶのだが…」
つまりドクターは愛妻家で、私にどうしても妻を自慢したかったらしい。それにしても気になるのはキムラという名前だ。ワドルが苗字だからキムラは名前になる。ではキムラ・ワドルの旧姓は何だったのだろう。「明美」など、名前のような苗字だったから、名前は苗字のようにしておかなくては、という両親の配慮があったのだろうか―
「彼女は、つまずくものも可愛らしい。金魚の絵が描いてあるレンゲだったり、ベビーコーンだったり、蕎麦ぼうろの花の模様の方ではなく丸い方だったり…彼女の転ぶ姿がかわいくて、しかもその後つまずいたものを見るとそれもかわいらしいんだよ…」
ドクターの愛妻家ぶりに驚いた。しかし実際はそうではなかった。ドクターは、ぼくがドクターのことを―性的な意味合いにおいて―誘っていたと思っていたようなのだ。
「そういうことなので、私にはまったく隙がない状態なんだよ。残念ながら。」
「残念ながら?」
「そうだ。君の好意はうれしいが、それには応えられない。私は知っている。キムラという作者の家に行くというけれど、それがウソだということもわかっていたよ。」
「ドクター。私はそんなに手のこんだことはしませんよ。」
わたしがあきれながら言うと、訳知り顔でドクターは言った。
「ハッハッハ。私にはわかる。今まで似たような局面を何度も切り抜けてきたんだよ。われわれが乗ろうとしている山手線、円環状になって、決して抜け出すことができないこの電車からも、たやすく抜け出してみせる。」
驚いたことに、ドクターは「山手線が循環している=一度乗ると抜け出すことができない」と勘違いしているようだった。わたしは慌てて説明した。
「山手線は各駅で下車できるし、そもそも乗車できるということは下車もできるので、閉じられているはずはないじゃないですか。」
「ふーん…なるほど…では、そもそもこの拉致の発端であるキミのゆがんだ愛情…これはどう説明するのかね?」
「そもそも、私はホモセクシャルではありません。前につきあっていたのは女で、しかも典型的な女、誕生日にハンドバッグを買ってもらって喜ぶような女です。何かあるたびにハンドバッグをねだり、自分用のハンドバッグが十分になると、今度は、自分の飼っている犬用のハンドバッグをねだるような女でした。そんなぼくが、男を好きになるはずなどないじゃないですか。」
「ほう。何を隠そう、私も無類のハンドバッグ好きでね。無理やりたすきがけにするのが特に好きだな。」