脾臓の存在感を浮き彫りにしようと試みたが、時代がまだわたしに追いついてないこともあってか、うまくはいかなかった。また、脾臓と同様、央央区の存在感も、常に消える寸前であることは否定できない。実際問題として央央区はあたかも領地をめぐるシミュレーションゲームの駒のように東京都から外され、周辺地域に統合されそうになったことが何度かあった。一度目は神奈川県川崎市麻生区に。一度は埼玉県草加市に。大阪府摂津市と統合されそうになったこともあった。
ここに『央央区 不幸と多幸の歴史』という本がある。著者は「木村 氏」とある。マナーの悪い若者から呼び捨てにされるのを避けるため、最初から名前に「氏」をつけているようだ。央央区の統合問題に関して最も詳しく記されているので引用してみる。

〜第一章 央央区の統合騒動〜

央央区は、区として独立して以来、幾多の迫害を受けながらも独立を守りつつ、なんとか二十一世紀を迎えることができた。しかし今なお、区境を浸食しようとする動きは止むどころか、活発になる一方であり、いつ央央区がどこかに統合されても不思議ではない。
たとえば先日、私が神奈川県川崎市麻生区との境をパトロールしていたときのこと。一匹の猫が私にまとわりついてきた。紺のベルベットのズボンを履いていた関係上、毛がたくさんついてしまいそうなので軽く避けていたのだが、私のことが大好きらしく、何度も体当たりをしてきた。いつしか私は、その気持ちにほだされ、座り込んでその猫を撫でることとなった。しかしその油断がいけなかった。県境を示す標識に、他の猫たちが頭をこすりつけるふりをしてじりじりと区の内側にずらしていたのだ。ただ頭をこするくらいなら、もちろん標識はびくともしないのだが、耳と耳の間に、おそらく川崎市の職員かだれかが、サメの肌を薄くスライスしたものをひっかけていたのだ。細かい凹凸が強い摩擦力を生み、少しずつ標識を動かすという巧妙な仕掛け―私はその巧妙さに息を飲んだ。
こんなに息を飲んだのは、会社勤めをしていたときに、健康診断でレントゲン写真を撮影した時以来だった。レントゲン写真を撮るとき、よく「大きく息を吸って」と言われるが、息を吸っても吸っていなくても、写真の映りにはまったく関係ないということはあまり知られていないようだ。医師が、写真撮影に向けての意気込みを見たいからやらせているだけというのが事実らしい。医者は、なされるがままの患者よりも、自分から腹を切開してさあ見てくれというくらいの威勢のいい患者の方を好む傾向にある。なぜなら室内にこもって気力のない―病気なので当然だが―人々を相手にして、ただならぬ苛立ちを覚えているのだから。たとえばタバコ二十四本を一ダースと呼んでいたり、チーズフォンデュなのにほとんどチーズをつけずに食べたり、カレーライスより、手早く食べられるドライカレーを好んだり。類例は枚挙に暇がない。私は今まったく仕事をしていないのだが、そんな私でも、医者の苛立ちに起因する習性を挙げはじめたら、たちまち猫の手も借りたい状態になってしまうだろう。猫の手と偽って孫の手を差し出されたとしても、それをありがたいとすら感じるくらいに―
県境の件に関する怒りに、息を飲む件の怒りも加わり、私は国道を前のめりで歩き始めた。まずは神奈川県庁で、不当な領土拡大に関する抗議をし、怒りを持続させたまま今度は、私に息を飲みこませた央央区の保健所に行く―という計画を立てたのだった。
しかし私の予定は大幅に狂った。県庁の入り口では特産品でもないのに「水ようかん祭り」が開催されていた。屋上から「気に入らない水ようかんに鉄槌を」と書かれた垂れ幕がぶら下がっていて、そんな誘い文句に乗るものか、と中に入っていくと、「あなたならどっちの水ようかんを選ぶ?」と書いたパネルがあり、右には小豆のギッシリ入った水ようかんがあり、左には水飴などが多く混じっていて小豆の含有量が少なそうな水ようかんが置いてあった。私は左の、薄い水ようかんを選んで食べた。「やはり水っぽい水ようかんの方が喉越しがよいな」と思いながら小さくみじん切りになっている水ようかんを次々に口に放り込みながら、右の水ようかんを見ていたのだが、だんだんその素材感あふれる水ようかんが憎らしく思えてきた。しょせんは小豆、しょせんは菓子にすぎないのに、お高くとまりやがって…という気持ちになり、許せない気持ちになってきた。水ようかんの前には、大きな木槌が置いてあり、垂れ幕に「鉄槌」と書いてあったのに、羊頭狗肉だと思ったが、それもこれも、このふざけた「本格派」水ようかんのせいなのではないかという気がしてきて、木槌を手にした私は、勢いよく水ようかんを叩きつぶした。中から形のよい栗が出てきたのだが、すりつぶすように粉々にした。気取った水ようかんが、今や地に落ちて床の泥と一体化しているさまを見て、私は悟りにも似たカタルシスを得たのだった。
すっかり機嫌をよくした私は、県庁を出ると、保健所の方向に、前のめりに向かった。歩いている間に転びそうになり、それをごまかしそうと思ったら、スキップのようになっていった。