Aが歌舞伎町を闊歩していたのと時を同じくして、Bも歌舞伎町を徘徊していた。BはAと違って、歌舞伎が、国家的な弾圧を受けて形を変えてきたという程度のことは聞きかじっていたが、それ以上の知識はなかった。彼はゲームばかりしており、歌舞伎の歴史知識もゲームから得たものにすぎなかった。ゲームの名前は「歌舞伎物語」。コンビニエンスストアで買えるゲームで、内容は、主人公が歌舞伎を演じていると、岡っ引がそれを弾圧しにくるのだが、役者は「歌舞伎を演じているのではないですよ」という感じで頭をかいたり縄跳びをしたりしてごまかす。しばらくすると、岡っ引がつまようじで歯の間を掃除するために背を向けるので、その間に役者はせわしなく演技をして点数を稼ぐ、というもの。調子に乗って演じすぎると、岡っ引に見つかってお縄を頂戴するか、激しく演じすぎて平衡感覚を失い、白色のどろりとした液体―歌舞伎にかけて、いつも蕪の煮物を直前に食べるため、白色になっている―を吐いて生命力が大幅に減ってしまう。
Bが「歌舞伎物語」の後に遊んだのが、「歌舞伎物語」と名前は似ているのだが内容は似ても似つかない「歌舞伎町物語」だった。このゲームが犯罪の直接のきっかけになったと考えられている。ゲームの内容は歌舞伎町とは無関係だった。「歌舞伎町という名前をつけたら、ユーザーがエロチックなものを期待して売れるのではないか」という、ゲームメーカーのワンマン社長の思いつきが反映されているだけで、実際はゆで卵をうまく作るゲームにすぎなかった。鍋の中に生卵を入れて、適切なタイミングで引き上げて、ちょうど半熟であれば千点。固くなっていたり、まだ生卵だった場合は負けというゲームだった。このゲームは、隠しキャラクターとして有精卵が用意されていた。有精卵を入れると、「暑すぎるノン〜!」と言って殻が割れて、ヒヨコが出てくるという仕掛けである。しかし、あろうことかBは、さらにそのヒヨコさえも湯の中に沈めてしまった。このゲームの開発者は残虐な描写が嫌いだったので、万一ヒヨコをお湯の中に入れた場合、真っ赤になって「牛ではないが、ンモー!!」と言って飛び上がり、お湯から自動で逃れるようにプログラミングしていたにも関わらず、Bはそれ以上の素早い動きでヒヨコを捕らえ、水炊きになり、うまみが鍋にしみこんでしまうまで煮続けたのだった。
残酷なB。アルファベットのBの柔らかい形状からは想像できない残忍さで、むしろ先の尖ったAと命名したいくらいなのだが、しかもその日は一人でボウリングをしたが目標のスコアに達することができなかった。さらに悪いことに、缶のおしるこの飲みすぎでのどがカラカラになっていた。彼は歌舞伎町をイライラしながらジグザグに歩いていた。それでもジグザグ歩きを繰り返すうち、だんだんジグザグするのが楽しくなってきて、きびすを返す動きもなめらかになり、気分が高揚してきたその瞬間、Aとぶつかってしまったのだった。
「痛てえ!ちゃんと前見て歩けよ!」
Bは持ち前の気の短さで怒鳴りつけたが、Aは言い返した。
「いい大人がぶつかっただけで痛いだなんて…それは『食後のデザートがないから飢え死にする』と言っているのと同じくらい弱々しい考えだ!」
意味不明なたとえ話で怒鳴り返されたBはたちまち頭に血が上ってしまった。
「じゃあこれも痛くないだろう?」
Bは、懐から鋭利な氷柱を取り出してAの胸に刺した。Aの胸からは鮮血がほとばしり、Bは氷柱を捨てて走り出した。「しめしめ、氷はすぐ解ける。凶器は永遠に見つからない。彼は謎の変死を遂げる!」しかし、なぜかBの鞄からはポタポタと水が流れて止まらなかった。不審に思ったBが確認してみると、かばんの中には氷柱が見つかった。
しくじった。Bは焦った。氷柱でAを刺したつもりだったが、実際に彼が使ったのは、氷柱とそっくりな形だが絶対にとけることのない―ただし核兵器が空から落ちてきた場合は、すべてのものがとけてしまうので例外だが―プラスチック製の人工氷柱だった。
人工氷柱を開発したのは、従業員五人ほどの零細企業の社長だった。
「誰が買うんですか…って、最初は従業員にすら笑われていましたよ。しかし、最近の温暖化でしょ?」
テレビの取材に対して社長はしてやったりという表情をしてそう答えた。人工氷柱は新潟など、かつて豪雪地帯だった地域に出荷されている。かつては雪かきの光景が見られた地域も、近年の温暖化によって、雪かきをする機会がなくなり、手持ち無沙汰で寂しい思いをしていたのだが、軒先に人工氷柱をつけることで冬の訪れを感じられるのだ。Bは新潟の実家から興味本位でもらってきた人工氷柱を間違えて凶器として用いてしまったのだった。ほどなくしてBは逮捕された。Bは取調室で「俺も悪かったがゲームが特に悪かった」と供述し、それが活字になって踊り出した。彼の部屋から出てきたのが『歌舞伎町ゲーム』だった。
被害者であるAは、二十一歳の生涯を歌舞伎町で終えることとなったのだが、Bのゲーム感覚の殺人とは対照的に、ゲーム感覚とは到底言えないような最期を迎えた。まず、血が出ていても排水溝とは遠い方向に、むしろ血の赤さを引き立てるために、洋品店のワイシャツ売り場に乱入して白いシャツをつかみ、数十枚のシャツを血に染めた。店にぼんやりと佇んでいた洋品店のC店長は、十日ぶりの客が、助かる見込みのなさそうな血まみれの客で、驚くというよりむしろがっかりしたようだった。形状記憶メガネを愛用していたCは、形状記憶ワイシャツのCMを初めて見たとき「これだ!」と思い、急いで千着分仕入れただけでなく、「このワイシャツが売れすぎたら、片時も受話器を離せないほど忙しくなるに違いない!」と予想し、電話機が持ちすぎで曲がることを恐れて、形状記憶電話機をわざわざ特別にドイツから仕入れたのだった。ドイツの電話機メーカーの極東地域営業担当のDはこれを「形状記憶スパイラル」と呼んだ。しかし、後にも先にもそのスパイラルは一例のみにとどまった。シャツが売れないばかりか、久しぶりに来た客にシャツを台無しにされたCの心中は穏やかではなかったことだろう。